兵庫県の斎藤知事について、パックンが「米国人の感覚で言うと、まだ何も立証されてない段階で身を引くのは時期尚早じゃないかと。米国では、有罪評決を受けた人でも次の大統領を目指しているんです、現役で。ですからまだ調査中の状態です。自分(=知事)は潔白だと信じている。ここまで県民のために一生懸命にやって貢献している(=と考えている)んです。疑惑持たれたからって身を引くわけにはいかないというのは、意外と米国の政治家の考えに近いですね」と述べたという2024年9月11日の記事が、「Yahoo!ニュース」と「スポニチ」オンライン版で報道された。https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/09/11/kiji/20240911s00041000136000c.html
この記事について、①パックンの意見を正しく反映しているのか、②推定無罪の原則はどうか、③広く意見を聞く姿勢はあるのか、などいくつかの疑問が生じたのでまとめてみた。
パックンの意見を正しく反映した記事かどうか疑問
パックン発言の真意は、「米国の元大統領は重罪で有罪なのに、破廉恥にも大統領選に出馬している。それに比べると、今回の兵庫県知事の事案は矮小で、取るに足らないが、かの元大統領と同じ考えで、同じような行動を取っているのは、実際、あきれるよ。」ということのように思うが、どうだろう。米国のインテリ層の意見は概ねこのようで、TVニュースでは、ABCとかPBSが代弁しているので、これらをチェックしていればよく分かる。今回同席したコメンテーター各氏は発言の真意を掴めていないようだ。
問題だらけのTV報道と推定無罪の原則
パックンは米国のインテリなので、元大統領について推定無罪の原則を無視した発言をするだろうということは理解できるが、元大統領に下された現時点での判決は「州裁判所での下級審判決(日本には相当する司法機関はない)」であり、確定したものでも、連邦犯罪に関与したものでもない。リベラル(政治的にリベラルと自称している人たち)の考えでは、権力者には推定無罪は存在しないということになるようだが、推定無罪の原則の無視が冤罪を生んでいるのが「ロシア」や「中国」であることも理解しておく必要がある。卑近な例で言えば、このような報道姿勢が(いまだに真偽不明の)「カレー事件」を生みだし、もう何だか訳のわからないカオスにしてしまったと言える。
外国人にお伺いという明治以来の悪弊
パックンの真意は違ったところにあったと思うが、報道側は「外国人が知事を擁護した」と考えたようだ。つまり、外国人が推定無罪の原則を説いたという報道で、普通のコメンテーターではとても言えない部分に、「外国人だからこそ」踏み込んだと考えているようにみえる。このような反応は、ジャニーズ事件の際の「国連報告者」とかでもみられたが、明治以来の悪弊と言わざる得ない。マスコミの報道姿勢はリベラルの衣を着た一種の「強権主義」だが、それに対抗できるのが外国人だけというのは、今回のコメンテーターの顔ぶれを見ても、頗る寂しい話だ。
元議員の意見とは思えない
金子恵美氏の言う「7項目にも及ぶ告発文書が出されている…」というのは犯罪の立証にはならない。告発されれば即有罪というのはロシアや中国で、それに対して、法の支配を強調しているのが自民党だと理解しているが、どうだろう。「告発者が亡くなっている」ことを強調するのは、感傷的で性善説を信じやすい庶民の思考パターンで、国際社会での活躍が期待される議員には相応しくない。谷原章介氏も同様で、こんなことを言っているから、「カレー事件」が起きたともいえる。退場を願いたい。